働く女ブログ

働く女をやめたブログ

1997年生まれ。都内に住んでいて、普通に大学をでて、普通に就職をして。働く女になりましたよ、と。そんな女がなんと仕事を辞めました。

箱入り娘がお転婆娘になったわけ

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私は三人兄弟の長女である。

小さい頃から母のいうことを聞かず、

お転婆娘ではあったのだが、

なんだかんだ母のいうことを守っていた。

 

中学時代

「お金がかかるから塾に通わせてもらえない」

という友達が周りにいながら、私は

「塾に通わされてる」

という受け身で塾に通っていた。

この時は親のありがたみに気づいていなかった。

 

高校受験が近づいてきて、

私は校風が自由な高校に行きたかった為、母に

「都立高校に行きたい」

と言うと、母は

「大学受験をしなくていい、私立の付属に行きなさい」

と言った。

 

今思うと、世間一般的には真逆であろう。

私立に行きたいと言っても、

お金がないから都立に行ってくれという家庭が多かった中、

本当に恵まれていた。

 

この時の私は親に反対する勇気もなく、

そしてまだそんなに自我が芽生えておらず、

「どこでもいい~」

という感じで高校を選び、

難なく受かってしまった。

今思うと難関校だったはずなのにさら~と受かったのが

疑問である。

 

しかし、このてきとうな高校選びが

人生を大きく左右した。

 

結論から言うと、その高校は自分には合っていなかった。

 

付属なので高校からではなく中学からの人たちもいた。

そして最初からごちゃまぜクラスであった。

 

勉強に関しては付属なので定期テストの勉強のみをしておけば良かった。

しかし、今まで受験勉強しかしてこなかった為に

定期テストの勉強方法がわからず、

暗記にとても苦労した。

中学からの内部性は、すでに三年間経験していたため

定期テストでは差が出てしまい成績も下がる一方だった。

 

また、校風的に縛られることが多く

通っている生徒も非常にお嬢様・お坊ちゃんが多かった。

親は私のこともそのような子に育てたかったのだと思うが、

私はお嬢様にはなれなかった。

 

勉強もおいていかれ、友達関係も上辺だけで過ごし

限界がきたときには遅く、

辞めたいとずっと思うようになっていた。

定期テストの勉強もしなくなり、ビリを取ったり

担任の先生には「やめたいんですけど」と言ってみたり。

この時の私は本当に問題児だったと思う(笑)

 

学校ではなるべく明るく振舞っていたいたが、

実際、家では親と喧嘩して家出をしたり、

痙攣を起こすほど泣いたり、

反抗期というか、精神もおかしくなっていたと思う。

 

それでも、慣れというものは怖くて

三年もいれば自分のいる環境を受け入れていた。

最終的には、

無事高校も卒業し、大学にもそのまま進学することが出来た。

 

この高校で学んだことは、

「自分の進路は自分で決めること」

「親とちゃんと向き合って話をすること」

「縛られると羽を伸ばせないタイプであること」

である。

 

大学では、1年生の頃

「門限は12時」「オールするときは母に連絡」

というルールがあったが、

守れることが少なくなり、

初期の段階で親は私にあきらめるようになった(笑)

親は”子供離れ”し、私も”親離れ”するいい機会だったのではないかと思う。

(仲が悪くなったわけではない✌)

 

大学生活は本当に好きなことをやっていた。

時には、名古屋からヒッチハイクで家まで帰ってきたり、

全然家に帰ってなかったり、

とんでもない娘だったと思う(笑)

 

そして、次に自分の進路を決めるときは就活であった。

この就活でも親とひと悶着あった。

 

「給料もよく、将来安定な大手に就職させたい」

と思うのは、母の愛だったのだろう。

(※母のいう大手とは金融系である)

 

しかし私は

「大手」=「安定」

という単語にはピンとくることなく

これからの時代は

絶対ベンチャーよりの「IT系企業」や「web広告」だろう

と確固たる自信があったため、

高校で学んだことを活かして母とは真剣に向き合った。

最初は全然わかってもらえず衝突していたが、

父が「好きなことやればいいよ」スタンスだったのもあり

母も認めてくれた。

 

実際、自分で選んだ進路は

このコロナでも被害は受けておらずむしろ需要が高まっており、

社風も自分にマッチしていてとても納得している。

親離れという意味で、時には逆らうことも大事だったのではないか

と実感している。

 

いつまでも親の敷いたレールに乗るのではなく、

自分のレールを作っていくことは大事である。

 

今では母の口癖が

「あんたを育てるのには本当に苦労した」

である(笑)

こんな私を育ててくれた母には感謝と拍手を送りたい。

 

以上が

「箱入り娘がお転婆娘になったわけ」

である。

 

この記事は半分私自身の紹介でもあり、

現在就活している人たちにも届くといいな。

 

少しだけ私の就活を紹介すると

色々な就活エージェントに相談をしたり、雑談話をしていたかな。

 

様々な企業を見ているため、

客観的に市場のことについて分析しているので

非常におすすめである!

 

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大変な時期だとは思うが、

頑張ってほしい。

 

以上お転婆娘であった。